orutana2020のブログ

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一輪の廃墟好き 第40話 五右衛門風呂

 だが俺は両親の人柄や人格などについてそう詳しく知らないし覚えてはいない。

 共に過ごした期間が極端に短かかったし、年齢的に同レベルでの会話も成立していなかったからだ。

 当然記憶に残る範囲でしか言いようがないのだけれど、奇特にも都会からど田舎である井伊影村の淀鴛家へ嫁いだ母は、華奢な体格で容姿端麗かつ穏やかな性格にして、幼い俺と接する際は絶え間なく優しい表情をしていたような気がする。

 一方、井伊影村の灯明神社たる実家で生を受け、すくすくと成長した暁には都会へ出て神道を学び俺の祖父の望むまま素直に実家へ戻った父は、祖父が大病を患い亡くなってしまう前に、淀鴛家直系の者が代々引き継いで来た燈明神社の宮司となったらしい。

 そんな父は母と比べると寡黙で厳しい人だったが、一家団欒の時間や俺と遊んでくれた際は表情を緩め、優しい目を向けてくれていたような気がする...

 食べるのに一生懸命な幼い俺にも時折声をかけてくれた両親は、土鍋を突きながらたわいのない会話を楽しそうに続けていた。

 今思えば本当に暖かみのある家庭だったのかも知れない...

 三人が満腹感で満たされると楽しい夕食の時間が終わり、いつものように母が台所で皿洗いをしているあいだ、父が幼い俺を風呂へ入れてくれた。

 土鍋を熱するカセットコンロはあれど、ガスの通っていない淀鴛家の風呂と云えば昔ながらの「五右衛門風呂」だった。

 石造りで若干歪んだ円形の浴槽に井戸水を溜め、家の外で薪を燃して沸かすというえらく手間のかかる代物である。

 五右衛門風呂を沸かすのは専ら父の担当で、小さいから危ないとの理由から手伝うことは叶わなかったが、竹筒を口に当て、汗をかきながら「フーフー」と懸命に息を吹きかける父の後ろ姿が印象深かった。

 因みにもう経験することは無いと思われるが、幼い俺は五右衛門風呂の底板が大の苦手だった。
 内部の造りが下に行くほど狭まっている五右衛門風呂の底は殊の外熱い。
 ゆえに木製の底板を足で踏んづけて湯に浸かるわけだが、固定されていないためゆらゆらと動いてしまうのである。
 幼い俺が苦手だったとしても何の不思議もあるまい...

 父に身体を洗い流してもらい、二人して茹蛸になるまで湯に浸かって風呂から上がると、母がやって来てバスタオルで濡れた身体を拭きパジャマを着せてくれた。

 そのあとこたつに入り、ボーっとテレビを眺めていると睡魔が襲い眠くなる。

 家事をあらかた済ませた母が、眠気満々の幼い俺の口に無理矢理歯ブラシを入れて歯磨きを済ますと、障子の戸で仕切られた隣の寝室へ千鳥足でよれよれと歩く。

 幼い俺は障子の戸を閉める直前に、両親と就寝の挨拶を交わし布団に入り眠りについた。

 それが両親と交わす、人生で最後の挨拶になろうとは露ほども知らずに...

 

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